収蔵遺物から 「狩猟文土器」について                  

 狩猟文土器写真この土器は、表面に粘土紐を貼りつけて四つ足動物を狙う弓矢やおとし穴(罠か)など、狩りに関わる場面を描いたもので、昭和57(1982)年に当センターが行なった八戸市韮窪(にらくぼ)遺跡の調査によって最初に発見※されました(平成2年3月、県重宝に指定)。それまでは、縄文人はほとんど絵を描かないものだという考えでしたから、これを機に、その考えを大幅にあらためざるをえなくなりました。
 狩猟文土器は、この後大半が本県と岩手県北部から発見されており、今のところ14か所から16個体以上の出土例が知られています。内訳は、青森県では津軽4か所(平舘村・青森市)、南部(六ヶ所村・福地村・八戸市)5か所、北海道(戸井町)では1か所?、岩手県(二戸市)では3か所にあり、ほかに福島県飯野町に1か所あります。
 狩猟文土器の絵柄は、弓矢・樹木・動物文がセットとして描かれた例、弓矢・樹木文はあるが動物文がない例、さらに、弓矢・動物文はあるが樹木文がない例などの型式があります。
 この絵柄については、北海道のアイヌ民族が行なっていたクマ祭りを表現したものとする見方がありますが、特定の動物を表現したものではなく、イノシシ・クマ・シカなどの一般的な狩りの対象となる動物を描いたものでしょう。狩猟文土器は、当初は豊猟を願う儀礼に用いられていた祭器が、やがて、あの世の豊猟を願う儀礼や葬送儀礼に関わる祭器・かめ棺として用いられるように変わっていったものでしょう。
狩猟文土器展開図  狩猟文土器の年代は、大半が約4,000〜3,600年前の縄文時代後期前葉のものですが、最近発見された飯野町和台遺跡のものは唯一、約4,200〜4,000年前の中期末のもので、狩猟文土器のなかではもっとも古くなります。分布の中心からはるか遠くに離れた東北南部の例(しかも1例のみ)が最古になるわけで、今後、双方間の系譜上の関わりの有無が論点となります。

 ※後日談:狩猟文土器の発見は、実は昭和57年ではなく、それ以前の昭和45年に、青森市教育委員会が久栗坂遺跡を発掘調査した際に、かめ棺の破片として出土していました。これが、昭和42年に慶應大学が同遺跡を発掘調査した際に出土していたものと接合することが、青森市史編さん事業の調査でわかり、あらためて双方を接合し、欠損部分を充填・復元してみたところ、みごとな狩猟文土器のかめ棺に仕上がりました。(県埋文センター 福田 友之 2002年6月)


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