深浦町教育委員会 伊東 信
昨年の10月、西津軽郡深浦町大字関字栃沢地内で、土木作業中に偶然、中世の骨蔵器がほぼ完形の状態で発見されました。破損している部位は口縁部で、埋納時に意図的に打ち欠いた可能性が指摘されます。さらに、骨蔵器は発見時、蓋石が被せられており、器内には被熱を受けた人骨と思われる 骨片が濃密に納められていました。
この骨蔵器は、瀬戸窯の製品で、古瀬戸とも呼ばれるものです。器種は直線的な胴部が特徴である瓶子の?類に分類されます。年代区分は古瀬戸の中期の第?期に位置付けられるもので、14世紀第2四半期の製品だと思われます。器高23.8cm、底径10.2cm、口径4.6cm、胴部最大幅17.2cmを計り、瓶子の重量は2.1kgを量ります。釉薬は口縁から底面まで外面全体に灰釉が施され、薄緑色を呈します。装飾は画花技法により草葉文が器面全体に描かれます。
また、骨蔵器内に副葬品はみとめられず、人骨については現在、東北大学医学部で詳細検査中です。
なお、この瓶子は深浦町歴史民俗資料館において9月中旬より一般公開する予定です。
この骨蔵器の鑑定については(財)瀬戸市埋蔵文化財センターの藤澤良祐氏、浪岡町教育委員会の工藤清泰氏にご教示頂きました。
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この報告書等一覧は、平成12年7月に各市町村教育委員会等に照会し、その回答をまとめたものです。ご協力ありがとうございました。
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青森県教育庁文化課 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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三内丸山遺跡XIV |
平成12年3月31日 |
青森県埋蔵文化財調査報告書第282集 |
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三内丸山遺跡XV |
平成12年3月31日 |
青森県埋蔵文化財調査報告書第283集 |
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青森県遺跡詳細分布調査報告書XII |
平成12年3月31日 |
青森県埋蔵文化財調査報告書第284集 |
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山ノ越遺跡 |
平成12年3月31日 |
青森県埋蔵文化財調査報告書第285集 |
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十三湊遺跡V |
平成12年3月31日 |
青森県埋蔵文化財調査報告書第286集 |
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史跡三内丸山遺跡年報3 |
平成12年3月31日 |
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青森県埋蔵文化財調査センター |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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モダシ平遺跡 |
青森県埋蔵文化財調査報告書第271集 |
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櫛引遺跡II |
青森県埋蔵文化財調査報告書第272集 |
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丹内遺跡 |
青森県埋蔵文化財調査報告書第273集 |
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山下遺跡II、米山(2)遺跡 |
青森県埋蔵文化財調査報告書第274集 |
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新町野遺跡II |
青森県埋蔵文化財調査報告書第275集 |
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畑内遺跡VI |
青森県埋蔵文化財調査報告書第276集 |
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野尻(1)遺跡III |
青森県埋蔵文化財調査報告書第277集 |
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餅ノ沢遺跡 |
青森県埋蔵文化財調査報告書第278集 |
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三内丸山(6)遺跡II |
青森県埋蔵文化財調査報告書第279集 |
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砂子遺跡 |
青森県埋蔵文化財調査報告書第280集 |
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野木遺跡III |
青森県埋蔵文化財調査報告書第281集 |
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研究紀要第5号 |
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青森県立郷土館 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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東北町長者久保遺跡・木造町丸山遺跡 |
平成12年3月28日 |
青森県立郷土館調査報告書44集考古-12 |
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弘前市十腰内2遺跡(第1年次) |
平成12年3月28日 |
青森県立郷土館調査年報第24号 |
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青森市教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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熊沢遺跡発掘調査報告書 |
平成12年3月21日 |
青森市埋蔵文化財調査報告書第48集 |
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稲山遺跡発掘調査概報II |
平成12年3月31日 |
青森市埋蔵文化財調査報告書第49集 |
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小牧野遺跡発掘調査報告書V |
平成12年3月31日 |
青森市埋蔵文化財調査報告書第50集 |
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桜峯(1)・雲谷山吹(3)遺跡発掘調査報告書 |
平成12年3月24日 |
青森市埋蔵文化財調査報告書第51集 |
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大矢沢野田(1)遺跡調査報告書 |
平成12年3月25日 |
青森市埋蔵文化財調査報告書第52集 |
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市内遺跡発掘調査報告書 |
平成12年3月31日 |
青森市埋蔵文化財調査報告書第53集 |
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弘前市教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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中野(2)・中野(1)・寺沢遺跡発掘調査報告書 |
平成12年3月17日 |
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弘前市内遺跡発掘調査報告書4 |
平成12年3月30日 |
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史跡津軽氏城跡堀越城跡発掘調査報告書I |
平成12年3月31日 |
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史跡津軽氏城跡(弘前城跡)弘前城北の郭発掘調査概報I |
平成12年3月31日 |
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八戸市教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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八戸市内遺跡発掘調査報告書12 |
平成12年3月31日 |
八戸市埋蔵文化財調査報告書第83集 |
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東北縦貫自動車道関係埋蔵文化財調査報告書II外 |
平成12年3月31日 |
八戸市埋蔵文化財調査報告書第84集 |
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市子林遺跡発掘調査報告書 |
平成12年3月31日 |
八戸市埋蔵文化財調査報告書第85集 |
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五所川原市教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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隠川(2)外遺跡発掘調査報告書 |
平成12年3月31日 |
五所川原市埋蔵文化財調査報告書第22集 |
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三沢市教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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谷地頭(7)遺跡 |
平成12年3月20日 |
三沢市埋蔵文化財調査報告書第18集 |
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蓬田村教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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玉松台(2)遺跡 |
平成12年3月 |
蓬田村文化財調査報告書第2号 |
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森田村教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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石神遺跡3 |
平成12年3月31日 |
森田村遺跡整備・活用計画発掘調査報告書3 |
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平賀町教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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阿蘇(3)遺跡 |
平成11年11月30日 |
平賀町埋蔵文化財報告書第25集 |
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大光寺新城跡遺跡-第10次調査- |
平成12年3月20日 |
平賀町埋蔵文化財報告書第26集 |
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大光寺新城跡遺跡-第7・9・11次調査- |
平成12年3月31日 |
平賀町埋蔵文化財報告書第27集 |
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市浦村教育委員会・富山大学考古学研究室 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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十三湊遺跡-第18・76次調査概報 遺構・遺物図版編- |
平成12年3月31日 |
市浦村埋蔵文化財調査報告書第10集 |
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十三湊遺跡-第86次調査報告書- |
平成12年3月31日 |
市浦村埋蔵文化財調査報告書第11集 |
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七戸町教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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矢倉遺跡II |
平成12年3月20日 |
七戸町埋蔵文化財調査報告書第29集 |
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膝森(2)遺跡II |
平成12年3月20日 |
七戸町埋蔵文化財調査報告書第30集 |
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史跡七戸城跡北館IX |
平成12年3月31日 |
七戸町埋蔵文化財調査報告書第31集 |
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町内遺跡発掘調査報告書1 |
平成12年3月31日 |
七戸町埋蔵文化財調査報告書第32集 |
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東北町教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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塔ノ沢山(5)・篠内平(1)・千曳下山(2)遺跡 |
平成12年3月31日 |
青森県東北町埋蔵文化財調査報告書第11集 |
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下田町教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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下田町内遺跡3 |
平成12年3月31日 |
下田町埋蔵文化財調査報告書第14集 |
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天間林村教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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村内遺跡発掘調査概要報告書 |
平成12年3月31日 |
天間林村文化財調査報告書第7集 |
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南部町教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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本三戸城跡 |
平成12年3月31日 |
南部町埋蔵文化財調査報告書第8集 |
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聖寿寺館跡発掘調査報告書VI |
平成12年3月31日 |
南部町埋蔵文化財調査報告書第9集 |
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階上町教育委員会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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滝端遺跡 |
平成12年3月10日 |
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青森県考古学会 |
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報 告 書 名 |
発行年月日 |
シリーズ番号 |
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獅噛式環頭大刀の分類 |
平成12年3月31日 |
小谷地肇 青森県考古学第12号 |
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脇野沢村瀬野遺跡採集のけつ状耳飾り |
平成12年3月31日 |
茅野嘉雄 青森県考古学第12号 |
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貝ノ口遺跡出土の古代錫杖状鉄製品 |
平成12年3月31日 |
小山彦逸 青森県考古学第12号 |
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大湯環状列石における遺跡の変遷 |
平成12年3月31日 |
秋元信夫 青森県考古学第12号 |
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伊勢堂岱遺跡における土地利用 |
平成12年3月31日 |
奥山一絵 青森県考古学第12号 |
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環状列石構築直前の土坑墓と祭祀関連遺物 |
平成12年3月31日 |
五十嵐一治 青森県考古学第12号 |
平成11年度に青森県内で刊行された発掘調査報告書等は50冊以上を越えるものの、冊数においては前年度を下回ります。しかし、中には6分冊、総ページ数約1500に及ぶものが登場し、ボリュームが巨大化する傾向がみられます。
ところで、諸般の事情により報告書を入手できなかったものがあり、論評不可能なものがあったことを最初に、お断りしておきます。
次に、各時代毎に特徴的なものをまとめてみます。
旧石器時代
木造町丸山遺跡(青森県立郷土館)は細石刃そのものは検出できませんでしたが、細石刃石核、掻器、削器など青森県内における数少ない細石刃文化期に関わる資料を提供しました。
縄文時代
東北町長者久保遺跡(青森県立郷土館)は、平成9年度に発掘調査が行われ、旧石器時代終末期から土器出現期にかけての学史的にも著名な遺跡で、昭和39年以来の再調査となりました。土器の発見には至りませんでしたが、従来の石器群がほぼ5×3mという狭い範囲に集中し、ひとつのブロックを形成していたことが確認されました。
青森市大矢沢野田(1)遺跡(青森市教育委員会)からは、前期初頭の竪穴住居跡と前期の土器を多量に包含する河川跡が検出され、貴重な資料を提供することとなりました。
南郷村畑内遺跡(県埋文センター) からは、前期円筒下層式土器に混じって東北南部の大木式土器と北陸地方の朝日下層式〜新保式並行の土器が出土しています。これらのことから、地域を越えた交流の広さを窺うことができます。
青森市新町野遺跡(県埋文センター)からは、縄文時代前期末の大型竪穴住居跡が4軒並んで検出され、この種の遺構の用途等を考える上で、貴重な資料を提供しました。
青森市熊沢遺跡(青森市教育委員会)からは、前期の遺物が多量に出土し、この中の石匙に見られ光沢と使用痕についての詳細な観察がなされている。
青森市国史跡三内丸山遺跡(県教育庁文化課)からは、中期の道路跡を伴った墓列が検出され、環状配石墓、上面に礫を配置する土坑墓、礫等を伴わない土坑墓、埋設土器から構成されていました。今後の継続調査によって、この時期の墓域の構造が更に明らかになることが期待されます。
鰺ヶ沢町餅ノ沢遺跡(県埋文センター)からは、中期末葉と考えられる石棺墓が4基発見され、この時期からすでに石棺墓が造られていることが再確認されました。また、長軸が30mを越える大型住居跡の一部が確認されたり、多量の土偶が出土したりとその文化要素には、国史跡青森市三内丸山遺跡に近似したものがあり、注目される遺跡です。
青森市三内丸山(6)遺跡(県埋文センター)からは、後期前葉のクマ形土製品が出土し注目されます。長さ10.8cm、幅7.3cm、高さ8.7cmで、後ろ足と尻尾は欠けていますが、おおよその雰囲気はつかめます。この遺跡からは、クマに関係する遺物がまとまって出土しており、続編の報告書で、詳しい分析がなされるものと期待されます。
青森市国史跡小牧野遺跡(青森市教育委員会)からは後期の湧水遺構が検出され、縄文人が飲料水の汲み取りや植物質食料の作業場に使用したり、あるいはここを舞台とした「湧水祭祀」が想定されています。
弥生時代
南郷村畑内遺跡(県埋文センター) からは、前期初頭の砂沢式並行期の土器に伴って遠賀川式系土器が出土し、更に、後期の天王山式系土器と後北C2・D式土器が出土しているのが注目されます。
平賀町大光寺新城跡遺跡(平賀町教育委員会)からは、中期の土器棺墓が1基発見されています。詳細については、平成12年度の報告書に記載されるとのことである。
奈良時代
七戸町膝森(2)遺跡(七戸町教育委員会)からは、7世紀末から8世紀初頭の竪穴住居跡2軒検出され、住居内から良好な一括資料が出土しています。
平安時代
青森市大矢沢野田(1)遺跡(青森市教育委員会)からはからは、石製帯金具の一種である丸靹が1点出土し、これで青森県内では4例目となり、貴重な資料となりました。
浪岡町野尻(1)遺跡(県埋文センター)からは、土器埋設遺構が1基発見され、一般には「合口甕棺」と呼ばれています。青森県内においては、初めての発見であり、人の遺体を直接埋葬した可能性が強いという。
青森市内真部(9)遺跡(青森市教育委員会)からは、多量の白浜式製塩土器片とV字状の切り込みをもつ円筒形の土製支脚が検出され、土器製塩跡の一端が明らかにされました。
南郷村砂子遺跡(県埋文センター)からは、平安時代以降の畠跡が大小約12区画発見されています。
青森市野木遺跡(県埋文センター)からは、平安時代の礎石をもつ竪穴住居跡や便所遺構などが青森県内で初めて検出されました。また、木枠をもつ水場遺構からは多量の木製品が出土し、中でも、ロクロ回転盤は注目されます。
中 世
平賀町大光寺新城跡遺跡(平賀町教育委員会)は、近年、継続的に発掘調査が行われ、この度大部の報告書が2冊刊行されました。同遺跡研究の基礎資料となるものと期待されます。
市浦村十三湊遺跡(県教育庁文化課)からは、港の荷揚げ場と想定される場所で、地固め跡と考えられる遺構が検出されました。また、地中レーダ探査による港湾施設の調査が試みられ、レーダ探査の結果と発掘調査の結果が符合する地点があるなど、遺跡探査の手法としては有効と考えられます。
市浦村十三湊遺跡(市浦村教育委員会・富山大学)の報告書は、青森県内で刊行されるものとしては初めてCD-ROMが付録として付けられました。その内容は、遺構・遺物の計測表が5表分収録されています。印刷物の本文編には、これらの表が省略されていますから、パソコンを所有していないと見ることは不可能です。客観的データのデジタル化を図り、報告書のボリュームを軽減することは望ましいことと思われます。しかし、パソコンの傍らでしか報告書の全体を見ることができないというのは、閲覧者の立場からは不便この上ないものを感じます。できることなら、今後刊行される報告書では、PDFファイル化を望むものです。
近 世
弘前市弘前城北の郭(弘前市教育委員会)からは「かわらけ溜まり」が検出されています。また、陶磁器・土器・瓦・煙管・古銭等が多数出土しています。
その他
小谷地 肇氏は「獅噛式環頭大刀の分類」(『青森県考古学』第12号)において、日本全国から出土している獅噛式環頭大刀の集大成し、その分類・編年などを行っています。
〈市町村の情報〉
平賀町教育委員会 小笠原 豊
太師森遺跡は町の中心部から東方8kmの新屋地区の遠手沢奥部の標高260mの山中に位置しています。遺跡は昭和16年に地元の郷土史研究家・故葛西覧造氏により新聞紙上に発表されたため,地区の方々の努力により私有地化することなく財産区有地として保護されてきました。
遺跡の東方に太師森という標高290mの山があり,頂上が直径約10mの平坦地となっており,山頂から遺跡を構成する平坦部を俯瞰できる地形となっています。
平成2年と3年に青森山田高校考古学研究会がボーリング棒による探査を行い,外帯の直径36m内帯の直径12mの環状列石であることを確認しました。遺跡の主体部の大半は草地ですが,周囲が山林で、平成3年の台風により倒木被害があり,一部の組石が霜出するなどの状況だったため,町教員会が平成12年から14年までの3カ年で調査を実施し,遺跡の性格と範囲及び構成時期を確認することになりました。
調査は5月9日に開始しされ、草地の刈り取り及び枯れ草の除去を行ったところ,地表面に石材が露出し、東西南北に十字型に5m幅のグリットを設定し調査しました。20〜30cmの深さで組石(配石)が確認され、ボーリング棒による探査図とはぼ合致する事が判りました。また,東側に組石が集中し、かつ東側に張り出し部のあることも確認されました。
組石は日時計型のものが多く全部で25基検出されましたが,中心部に棒状の石を持つタイプや板状の石を持つタイプなど数パターンに細分類が可能です。遺跡自体が谷の上流部に位置するため,使用されている石は丸みを帯びた川原石よりもむしろ角張った川原石が多く用いられているのも一つの特徴です。また縄文後期初頭のカメ棺も1個体出土し,出土した土器片から複数のカメ棺の出土が予想されます。調査は7月29日に一部埋め戻しをして保護し,今年分を終了しました。
来年度は今回の実績をもとに確認範囲をさらに広げ,全体像を探りたいと思います。
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▲日時計型組石(中央の立石は復元)
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▲列石東側部分の配石確認状況
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―甲田 美喜雄― (天間林村教育委員会 社会教育課)
天間林生まれの天間林育ちで、1988年に役場に採用されました。縁あって(単に人事異動ですが)、文化財の仕事に携わることになりました。当初から二ツ森貝塚の国史跡指定という至上命令があったのですが、文化財も考古学もましてや発掘調査などは見たことも聞いたこともないのに、どうすればよいのかわからないままハッタリで仕事を進めてきました。たくさんの皆さんからのご指導のお陰で、指定にこぎ着いたのが平成9年でした。目的を達成し、ようやく事務職に復帰できると思ったのも束の間、未だに同じ仕事をしています。いつか普通の役場職員に戻れることを思いつつ、今日も現場だ?。
―森 淳― (階上町教育委員会 社会教育課)
田子町生まれ、階上町育ち、現在八戸市に住んでいます。考古学との出会いは小6の夏に階上町白座遺跡の発掘調査を見に行き、ほとんど完全な形の土器がつぶれた状態で多数転がっているのを見て感動し、なぜ土の中にこんなものが残っているのだろうとほんの小さな疑問から現在に至っています。運命とは不思議なものでその町に就職して早いもので5年目をむかえました。いつも汚い作業着、ぼさぼさ頭、無精髭、のそのそ歩くところから高校時代からついているあだ名はクマ、クマ吉、クマおやじ、クマ五郎…。諸先輩方々のご教授のおかげで今までやってこれたと思っております。初心を忘れず今後もがんばっていきますので、こんな私ですがよろしくお願いいたします。
―渡部 学― (平賀町郷土資料館)
早いもので、今年で勤務4年目になります。高校・大学時代を通じて青森短期大学の葛西励先生の元で発掘調査に携わり現在に至っていますが、考古学というのは、本当に奧が深いなと今更ながら思い知らされている今日この頃です。昨年までは、大光寺新城跡遺跡(中世城館)の調査で中世三昧でしたが、今年から、太師森遺跡の発掘調査を実施しているため、繩文にどっぷりと浸り楽しく忙しい日々を送っています。太師森遺跡の本年度分の調査は終了しましたが、平成14年度まで調査を実施する予定ですので、近くまで来る際には、是非お立ち寄り下さい。甚だ勉強不足の身ではありますが、今後とも頑張りますので、みなさんよろしくお願いします。
9〜10月に下記の日程で、遺跡の現地見学会が開催されます。是非、ご参加ください 。
《史跡小牧野遺跡》
場 所:青森市野沢字小牧野地内
日 時:9月下旬
問合先:青森市教育委員会文化財課(電話017-734-1111 内線5331 担当児玉)
《史跡三内丸山遺跡》
場 所:青森市三内字丸山地内
日 時:10月13日(金)午後2時〜3時
問合先:青森県教育庁文化課三内丸山遺跡対策室(電話017-734-9924 担当齋藤)
《史跡七戸城跡》
場 所:七戸町字七戸地内
日 時:11月中旬
問合先:七戸町教育委員会生涯学習課(電話0176-62-9702 担当小山)
《十三湊遺跡》
場 所:市浦村字琴湖岳地内
日 時:10月21日(土)
問合先:市浦村教育委員会(電話0173-62-3751 担当白川・榊原)
《十三湊遺跡》
場 所:市浦村字琴湖岳地内
日 時:11月
問合先:青森県教育庁文化課埋蔵文化財班(電話017-734-9921 担当鈴木)
《中市城跡》
場 所:倉石村中市
日 時:10月下旬〜11月初旬
問合先:倉石村教育委員会(電話0178-77-2111 担当村本)